先生の先生になる

●今年の塾の運営方針として、ボクは原則的には自分自身では授業を行わず、スタッフの指導を行うことで、間接的に生徒を指導しようと思っています。
つまり、「先生の先生」として活動しようと思っているワケ。
なんでそんな風に思ったのかというと、自分の人生の残り時間を考えると、そろそろ次のステージに移ってもいいかな、と思ったことと、生徒の指導方法に関して実験してみたいことがあったからなんです。
その実験の内容はまだ具体的には言えないのだけれど、簡単に言うと、「教える」という行為は一体何なのか? ということと、先生の生徒に対する働きかけはどのように機能しているのか? という疑問を検証するものとなる予定です。
すでに学生時代からカウントすると、生徒を教えるという仕事をしてきて、もう20年以上が経っているわけで、その間に「教える」ということに関してさまざまな知識と経験が自分の中に蓄積されてきているのを感じています。
で、そろそろそれらをまとめて頭の外に出しておきたいな、という欲求が高まってきているんです。なんだかここらで中間報告をしてみたいという。
今のところの直感としては、きっと、いわゆる「知識の伝達」という機能は、おそらく「教える」という行為の全体像の中では、かなり重要度は低いんじゃないかな、と思っています。
知識が豊富な先生が、その知識を言葉でたくさん生徒に語ってあげれば、知識が生徒の頭の中にコピーされて、生徒の頭が良くなったり、成績が上がったりするという、一般的に信じられている「教える」モデルというのは幻想ではないか? 生徒の頭の中が変わるのにはもっと別な要因が重要な役割を果たしているのではないか?
今はそんな風に思ってるんですね。
だって、みんな覚えがあると思うけど、先生のお話を聞いている時ってけっこう自分の頭の中は「たるんで」いるでしょう? 先生はありがたい知識を伝授しているつもりかもしれないけれど、先生が力説すればするほどこちらは眠くなったりする(笑)
それよりも、自分の興味関心に従って、自分で本を読んだり、いろいろなことを経験している時の方がずっと、脳みそが活発に動いている気がする。眠くなったりしない。
上の画像はSPECTという最新の機器で脳の血流量をリアルタイムで記録したもの。
赤い部分は血流量が大きくて、逆に青い部分は少ない。
つまりは、ボクは先生がどう生徒に働きかけたら、生徒の頭の中の血流量が増えて、SPECT画像が真っ赤っかになるかを知りたい訳です。
まあ、今はまだ直感で話をしている段階なので、何ともいえないのだけれど、これからしばらくはこんな問題意識を持って、毎日の仕事をしていこうと思っています。
では。
- [2008/01/27 14:38]
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コメント
真っ赤っか
そうだねぇ、ボクも高校時代に真っ赤っかになったことが多かったかな。
世界史のO先生とか、現代社会のT先生とか。
ただ、ボクの場合は、授業中に「ふ〜ん、オモシロイや」と思うと、あとは図書館に行ってそこから先のことが書かれた本を読んだ感じ。
基本的に誰かから絶対的な影響を受けるのがあまり好きじゃないみたい(^^;)
その代わり、本の中の登場人物の行動や、事実そのものに大きく影響を受ける傾向があると思う。
こんなボクが考える授業論だから、教師の働きは、ひどくミニマルなものになると思うよ。
んでは。
思い出(は長くなる)
学習塾や通信添削は経験ないので学校の、印象にのこってる「まっかっか」の授業を思い出すと・・
いずれも高校時代。
★現国M先生の、文豪●●(?名前が出てこない・・)書生時代の四方山話。文学が生まれるところのニホヒが感じられ、うっとり。文学への興味。
★英語I先生の、カナダ旅行とか日常での英会等身大実体験の話。英語って、そーなんだ。楽しいことの準備なんだぁ。実用品なんだぁ。と、納得。
★物理T先生の、身近で簡単な現象(式)から微分・積分により公式(っていうんだっけ??)を導き出してゆく物理の授業。物理って、とっても理論的一本道で、すっきり簡単、好き好き。数式が宇宙を解き明かす。この先生は、数学の授業が追いついていなくて理解できないだろうと、微分積分まで教えた。
★書籍ですが、友だちが紹介してくれた、「松田穂瑞」だか、それに似た名の人の、「現代国語解釈」だかなんだかという名の緑色の表紙カバーの、薄い参考書。ずーーーっと、国語、特に国語のテスト問題というのが、なんだかさっぱり意図も意味も理解できなかった。それが、この本を読んだだけで、スッキリ。なんだ、国語のテストって、そーいうことか。それ以来、現国は全く勉強せずともクラストップ(含む美化)。共通一次試験(今のセンター試験)も全く不安なし(除く漢字)。
まだ色々あります。逆に意欲をぶち壊した先生もいます。私の特性としては、本質にせまるヒントをくれる話が好きで、マッカッカになるみたいですね。科目の本質が解ることで、全体の源流からの流れ、その分野の考え方(決まりごと・作法)、現時点で勉強していることの位置づけがスッキリする。
もちろん、テスト勉強というか、目先の得点アップとずれるところがあるのかもしれないけど、長いスパンで考えれば、本質をおさえないと蛇行して苦しいだけで、遠くまで行けない。
受験のための授業が悪い、というのではないです。試験・試験問題の本質に迫るなら、それはそれで熱いです。
T先生の授業で、物理系に進もうとまで意欲を持った私は、つぎの物理担当になった×(名前忘れた)先生の授業で、いきなり出てきた公式について、意欲満々で「それはなぜその式となるか」質問したところ、「そんなのおまえに解らなくていいんだ!」と超激怒され・・・一気に物理離れしました。・・先生、解らなかったのね。
でも、本は今も好き、英語は通じればいんじゃー英語で、とってもいい経験をたくさんできました。
本質を教えるには、その先生が本質を理解し、かつ、体感していることが基本でしょうね。客観もしているが、そのなかで右往左往してもいると。マクロもミクロももっている。
教えるというのは何か、という議論にもそのまま当てはまります。入れ子ですね。
でも、その経験が一分野でももてたら、いろんな分野に迫る技術となりえますよね。
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