一般化の恐怖  

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ボウリング・フォー・コロンバイン / マイケル・ムーア

●なんかまた拳銃がらみの物騒な事件がたてつづけに起こってしまいましたね。

長崎市長は射殺されるし、バージニア工科大学での銃乱射事件はアメリカの銃問題の根深さを我々に再認識させます。(画像はアメリカの銃問題を扱った映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』です)

で、銃も恐いんだけど、今回もっと恐いなあと思ったのが、アメリカで韓国人に対するバッシングが起こることが懸念されてて、韓国人の方もアメリカへの渡航を自粛しはじめているということ。

冷静に考えれば今回の容疑者が韓国人だからといって、韓国人全員が同じような事をするわけでもないし、今回の事件を韓国人の民族性に結びつけて考えるのもナンセンスだと分かるはずなんだけど、今回みたいな事件が起こると、必ず「○○人」全体を排斥するような動きが起こる。

この大脳を経由しない「反射」のような反応は一体どこから来るんだろう?

結局、理解に苦しむ事件を根っこから考えるのが面倒くさいから「○○人だからね〜」という安直な一般化を行って、自分自身を安心させたいのかもしれない。

一般化というのは言葉の非常に重要な働きだけど、くくり方が悪いとこんな風な問題を引き起こすんだよねぇ。

「あいつは体育会系だから」「あいつはオタクだから」「あいつはいまどきの若者だから」と相手を一般化してひとくくりにすると、見えるものも見えなくなる。気をつけようっと。

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