【月刊ブレスコラム】ボクはこんな本を読んできた 〜前編(幼稚園〜中学時代)〜 (2006/10)

●ジョーカーばっかり切ってて申し訳ないのですが、今回は月刊ブレスのコラムをアップしますね。
で、毎月の月刊ブレスのコラムのあとには「塾長の近況」という欄があって、いつもそこにちょっとした近況や、その回のコラムに込めた思いなんかを書いたりするのですが、今回のコラムの場合は、こんな近況を書きました。
●塾長の近況
お恥ずかしい話ですが、今月のコラムを書きながら、深夜(早朝?)に大泣きしてしまいました。小さいころに読んだあれこれの本のことを思い出しながら書いていたら、いつの間にか泣いていたんです(T_T)。それはもう気持ちよく、ぽろぽろと(^^;)……。
まあ、年をとって涙腺がゆるくなったのかもしれませんが、子供の本の名作がもつ純粋さは、いい年こいた中年おやじをも泣かせる力があるんですね(笑)。子供のころに本当に美しいお話を心の奥底に織り込むことは、人間の感受性にとって大事なことなんだな、と思いました。
というわけで、本文をお読みください。
ボクはこんな本を読んできた
〜前編(幼稚園〜中学時代)〜
●君がどんな人間か当ててみせよう
じつは今、かなり気恥ずかしい思いをしています。
なぜかというと、今回のコラムのタイトルは『田中角栄研究』や『脳死』など優れたルポルタージュを圧倒的な勢いで出版し続ける“知の巨人”、立花隆氏の著書とほぼ同じタイトルだからです(ただし立花氏の著作は「ぼくは」とひらがなになってますが^^;)。
まあ、立花氏の読書量とくらべたら、ほんの微々たるものですが、今月と来月は、私自身がどんな本を読んできたかをお話ししたいと思います(読書の秋ですしね)。また、ちょっとばかり読書の意味なんかについても考えてみようかとも思っています。
かつて、美食家として有名なブリア・サバランはこう言ったそうです。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせよう」
この言葉にならえば、こう言うこともできるでしょう。「どんなものを読んできたか言ってみたまえ。君がどんな人間か当てて見せよう」
人前でハダカになるようでちょっと恥ずかしいのですが、ぜひ最後までお付き合いください。今月は幼稚園から中学時代までです。
●「うつくしいおはなし」との出会い(幼稚園〜小学校低学年)
私の記憶にはじめて「本」というものが登場するのは、幼稚園時代。その時読んだ(というか読み聞かされた)本は、『ももいろのきりん』でした。おかあさんがくれた大きな紙で作った、ももいろのキリンで空を飛ぶのが本当に楽しそうで、雨に打たれて色落ちしたキリンが、かわいそうでたまらなくて……。それは本から受けた最初の感動でした。
その後は定番の『ぐりとぐら』『いやいやえん』『ちびくろサンボ』『あんぱんまん』などへと続き、私はおはなしが大好きになりました。どれもホンモノの「うつくしいおはなし」でした(首なしあんぱんまんはショックでしたが^^;)。
小学校に上がって、一年生の時のクリスマスプレゼントには『一年生のぼうけん物語』という本を買ってもらいました。
当時、私の両親は本だけは好きなだけ買ってくれました。また彼らは私に読ませたい本を与えはするのですが、私がその本を読まなくても怒りませんでした。逆に私がどんな本を読んでいても一切、怒りません。私の周りを本で満たして、あとは放っておいてくれたのです。今考えれば、これは私にとっては本当に理想的な環境でした。この点に関しては両親に感謝して感謝しすぎることはありません(笑)
そんな恵まれた環境で、私はじつにマイペースに自分の好きな本を読み進めました。『チョコレート戦争』(大石真)や『大きい1年生と小さな2年生』(古田足日)、『ふしぎなかぎばあさん』(手島悠介)や『車のいろは空のいろ 』(あまんきみこ)など、この頃読んだお話は、今思い出すだけで心の中が暖かくなるようなお話ばかりです。
このように本に関して(だけ?)は何不自由なく育った私は、まるで呼吸をするように、自然に本を読む子供になっていきました。
●“横に広く”から“背伸び”の時代へ(小学校中学年〜中学校)
小学校中学年になると、だんだんと読む本も難しくなっていきました。
子供向けの文学全集で『巌窟王』や『フランダースの犬』『千夜一夜物語』など外国文学も読むようになり、日本の作品では小泉八雲の『怪談』、上田秋成の『雨月物語』、柳田国男の『遠野物語』などを熱心に読むようになりました。
また、高学年になると、いわゆる「おはなし」だけでは物足らなくなり、私はいろいろな本を読むようになりました。
学研の「ひみつシリーズ」は、マンガでありながら、自然科学や歴史への興味を大いにかき立ててくれ、それはそのまま『ファーブル昆虫記』や『ろうそくの科学』(ファラデー)といった科学に関する読み物や、『さまよえる湖』(へディン)『コン・ティキ号探検記』(ハイエルダール)といった冒険記などへとつながりました。小学校高学年は読書の幅が“横に広く”なった時期だったのです。
さて、中学に上がると、私は一転して本を読まなくなりました。部活の吹奏楽がめちゃくちゃ忙しく、また、めちゃくちゃ楽しかったからです。。
しかし、数は少ないなりに何冊か“背伸び”をした本が印象に残っています。
太宰治の『人間失格』の暗い雰囲気に魅了され、YMOの坂本龍一が読んでいたと言うだけで、まったく理解できない吉本隆明の『共同幻想論』などに手を出したりしたのもこの頃です。(^^;)
●子ども時代の読書の意味
「本はためになるから読むのではない。面白いから読むのである」
こう喝破したのは、「と学会」発起人や「トリビヤの泉」のスーパーバイザーなどで有名な“雑学王”、唐沢俊一です。
幼児期から思春期前期における読書のポイントは、まさにこの一行に集約されるといってもよいでしょう。
自分自身をふりかえってみても、この時期は、なによりも“快楽としての読書”をおぼえるべきだ、と断言できます。
だから、子供が本を好きになるのを大人が邪魔しちゃいけない。読書感想文なんか百害あって一利なし。もちろん「ためになるから」という理由で読書を押しつけるのもいけません。
読書に限らず、文字によってコミュニケートするということは、人間の精神を「いま」「ここ」から開放することです。私たちは文字のおかげで遙かな昔の賢人たちと会話ができ、“ここではないどこか”に想像の翼を広げることができる。
大人たちは、本とのすてきな出会いだけを演出してあげればよいのです。かといって難しいことでもなく、私の両親が私にしてくれたように、子どもが喜びそうな本で周りを満たしてあげて、欲しがる本は原則的に何でも買ってあげる。そしてあとは放っておくのが一番良いのではないでしょうか。(後編に続く)
- [2006/11/23 23:19]
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