名犬牧場の中心でワンワンと叫ぶ

●このあいだの日曜日に、うちから車で20分ほどの「名犬牧場」に行ってきました。
この名犬牧場。当然ながら本当に色々な犬がいて、触ったり撫でたりできて、もし気に入った犬がいたら、レンタルして場内を散歩できたりするんです。
うちの息子君も大喜びで、でっかいピレネー犬の口の中に、むんず、とばかりに手を突っ込んだり、犬のおやつを食べそうになったり、そりゃあもう大変でした(^^;)。
で、写真は場内の芝生の上で靴を脱いで歩きたがっている息子君。
最初は靴を履いてトコトコ歩いていたのだけれど、その靴がなんだか気に入らなかったようで、靴を脱いで裸足で歩くことになったのです。
そうしたらもう、一気にヒートアップしてしまって、歩くこと歩くこと……
それも場内を散歩しているいろんな犬に向かって「ワンワ〜ン! ワンワ〜ン!」と叫びながら近寄って行くものだから、ついていくこっちは大変でした。
で、何が言いたいのかというと、人間、素手や素足など“素”で世界と関わると元気になるもんだなあ、ということ。
叫びながら素足で場内を駆ける息子君は、芝生の感触を足の裏全体で感じて本当に気持ちよさそうでした。
言い古された表現だけど、大地のエネルギーを足の裏から吸収して、叫び声として大気中に発散しているような感じ。なんかもう「エネルギー充填120%(古!)」の、ちっちゃなケモノがコロコロところがっている感じなのです。
その様子を見ていると、人間は成長するに従って、だんだん頭でっかちになってきて世界と自分との間に何重にもフィルターをかけてしまい、“素”で世界に向かうことを忘れて、結果として元気をなくしてしまうんじゃないかなあ、などと思ってしまいました。とかくPCのモニター経由で世界とつながろうとする自分の日常を反省したりもして……。
でも、そうやって青空の下で、息子君と牧場の中を歩き回って、犬たちと戯れていると、だんだんこっちまで元気になってきて、なんだかとっても良い休日になりました。
もしかしたら、Sさんのことで塞ぎがちだったボクら夫婦に、犬と息子君が元気をくれたのかもしれないね。
どうも、ありがとう。
それでは最後に、叫びながらワンワンを追いかける息子君と、それを追いかけるボクのツーショット写真をどうぞ。
拡大してみると分かると思うんですけど、足の上げ方から姿勢の傾き加減までまさに相似形(^^;)
ビバ!DNA。
どんなに疑おうとしても親子にしか見えない決定的証拠写真になってしまいましたとさ(笑)。
- [2006/09/27 10:25]
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残像に口紅を 〜Sさんのこと〜

●先日も触れましたが、筒井康隆の名作に『残像に口紅を』という本があります。
これは、日本語の音を順番に消していき、残された音でどこまでの表現が可能かを追求した実験小説なのですが、音が消えると同時に、その音を含んだ言葉が指し示すモノ自体も消える、という設定になっていたため、結果として「ひとつのことばが失われたとき、そのことばがいかに大切なものだったが始めてわかる。そして当然のことだが、ことばが失われた時にはそのことばが示していたものも世界から消える。そこではじめて、それが君にとっていかに大切なものだったかということが」わかるような仕組みになっています。
ところで筒井作品というと、ドタバタ系の部分が取りあげられることが多いのですが、ボクは筒井作品の真骨頂は、ドタバタの狭間にふっと漂う、「切なさ」や「哀しさ」にあると思っています。
本作はそんな筒井氏の叙情的な部分がいかんなく発揮されている作品で、言葉とともに消えていくものへの哀悼が随所に表れています。
たとえば、タイトルの由来となった三女の消失の部分は、こんな感じです。
ひとり消えたな。たしかにひとりいなくなった。その名とともにこの世から消失した。佐治勝夫はいそぎ、記憶から脱落しないうちにと三女の残像を追った。もはや明確には思い出すことができなくなっている。無理に思い出そうとしない方がこの虚構の中ではまともな対応なのだろう。しかし、勝夫は目を閉じた。夢をたどるが如く、一部から全体を思い出そうとした。丈の高い、大柄な娘だった。(中略)彼女はいつも笑っていた。その身長ゆえに、ひとから反感をもたれまいとして、終始おだやかな笑みをうかべ、おとなしくひとの言うことを聞いていた。おれの目の前にいて、おれを見おろし加減に前かがみになり、にこやかにうなずいていたその好ましい娘はもうどこにもいないということだ。化粧すれば美しくなったに違いないな。高校一年だから化粧はしていなかった。ひと前で化粧したことは一度もなかった筈だ。少し色黒だったからか、化粧をして見違えるように美しくなることが照れ臭かったのか。そうだ。美しくなることを知っていたに違いないぞ。自分でこっそり化粧してみたことが一度もなかった筈はない。若い娘なんだものな。彼女の化粧した顔を一度見たかった。では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさしてやろう。
じつは今日、ボクは中学2年から大学入学まで勉強を教え、大学生になってからは、うちの塾でスタッフとして働いていたSさんの葬儀に出席してきました。
あまりに突然のことで、まだ現実感に乏しいのですが、つい先週の金曜日まで一緒に元気に働いていたSさんがすでにこの世からいなくなってしまったと思うと、上の引用部分が胸にグサッとくるのです。
もちろん、引用部分の記述と実際のSさんは大きく異なりますが、いまボクは、失われたものの残像を追い求める主人公の気持ちが良く分かるのです。
中学2年の頃、数学ができないといって入塾してきたSさん。
いかにもマジメそうで、実際マジメで、部活の後にジャージ姿のまま塾の授業に駆けつけてそのまま授業を受けていた。
努力家だったから数学の成績も程なく上がって、ボクが小論文を教えて推薦で高校に入学して、高校でも部活に勉強に頑張っていたなあ。
移転する前の塾は小さくて、よく自習の生徒で席がいっぱいになってしまって、部活帰りでお腹がすいたものだから事務室のボクの机で菓子パンをほおばっていた。
大学生になってからは、ボクや石原の授業をアシストしてくれて、女子に人気の優しいお姉さん先生だった。
どんどんキレイになって、学生生活を楽しんでいたのに。
これからいいことばっかりが待っているはずだったのに。
ボクの一歳になる息子を「赤ちゃん大好きなんですよ〜」といって「ひで坊、ひで坊」といってかわいがってくれて、ボクの妻に「結婚してるってどんな感じですか?」と恥ずかしそうに尋ねていたなあ。
きっとSさんは将来「結婚しました〜」といって報告してきて、子育ての話とかも一緒にできるんじゃないかと、ボクら夫婦は勝手に想像していた。
最後の会話は「じゃあ、帰ってきたら来月の予定を立てようね」だった。
予定は永遠に未定になってしまったよ。
いまは「残像」というにはあまりにもリアルな感覚がまだボクのなかに残っている。
でも残酷なようだけど、この感覚もいつかはだんだん薄れていってしまう。その事実がとても悲しい。
ああ、もう続けられないなあ。
いまはただ、安らかに眠って欲しい。それだけです。
- [2006/09/21 18:23]
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【月刊ブレスコラム】イケイケ派VSヨセヨセ派 〜2種類の人間対決part3〜 (2006/07)

●今月は早々とジョーカーを切ります。(^^;)
月刊ブレスの7月号(6月発送分)のコラムをアップして更新終わり〜
「2種類の人間対決」もこれで最終回。「イケイケ派VSヨセヨセ派 〜2種類の人間対決part3〜」です。
ちなみに画像は複雑系の科学の領域では有名な「ローレンツ・アトラクタ」。一見バラバラな数値の裏側に、整然とした法則性が隠れている例として発見されたものですが、綺麗なものでしょ?
え?、なぜ急に「複雑系」かですか?
いや、ほんのちょこっとコラムの最後で触れているものですから^^;)。特に重要なものでもないんですけどね。
どんな触れ方をしているかは、ぜひコラムをお読み下さい。
-------------------------ここから
さて、5月から3回に渡って連載してきました「2種類の人間対決」。最終回の今回は、「人生に何かあることを求める」派VS「人生に何事もないことを求める」派です。
- [2006/09/19 15:41]
- 月刊ブレスコラム(for学習塾ブレス) |
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宇宙からの帰還(立花隆)
![]() | 宇宙からの帰還 立花 隆 (1985/07) 中央公論新社 この商品の詳細を見る |
●Google Earthの日本語版がついに公開されました。
いやあ、またまたハマってます(^^;)
だって、宇宙空間から一気に自宅の上空100メートルまで駆け下りたり、自宅からロケットで打ち出されるように一瞬でニューヨークへ、上海へ、ホノルルへ飛ぶことができるんですよ〜。
自分の行きたい場所を好きなように選んでツアーを組めば、まるで地表がトランポリンにでもなったように、ぴょんぴょんと文字通り地球を股にかけて飛び回ることもできますし、“80日”どころか“80秒”間世界一周だってできるんです(笑)。
で、そうやって遊んでいるうちに思い出したのが、画像の『宇宙からの帰還』(立花隆)だったんですね。
この本は、『田中角栄研究』、『脳死』、『精神と物質』など、つっこんだインタビューと綿密な調査で良質なルポを送り出してきた立花隆氏による、1983年の作品です。(うわっ、もうそんな昔^^;)
いままで語られることのなかった、宇宙飛行によって宇宙飛行士の内面にどのように変化が起きたかを報告したこのルポは、当時、大きな反響を呼んで、同名の映画まで製作されました。(ちなみにこの映画、面白いことに私の住んでいる地域では、『風の谷のナウシカ』と同時上映でした(笑)思想的には通底する部分はあるんだろうけど、どうしてそんな二本立てにしたんでしょう?^^;)
当時、高校生だったボクは、この本を読んで相当ショックを受けました。
宇宙飛行を経験した飛行士たちが、その後、聖職者になったり、発狂してしまったりした、という事実の面白さもさることながら、なによりも彼らが語る、宇宙から見た地球の姿がものすごく魅力的で、ホントに心の底から「宇宙から地球が見てみたい」と思ってしまったんですね。
「その眺めは格別だ。人間がこれまで見たことがない見方で地球を見ることができる。地球を離れるに従って大陸や大洋が一目で見渡せるようになり、やがて、地球の球体としての輪郭が見えてくる。世界が一目で見える。全人類が私の視野に入ってしまう。地球の上で時間が流れていくさまが目で見える。私はここにおり、その他の世界のすべては、私に見られてそこにある。私は人でありながら目だけは神の眼を持つ体験をしているのだと思った。地球から離れるに従って、地球は、ますます美しくなる。」
「体験で得たもので一番大きかったのが神の認識だ。宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさにうたれる。こんな美しいものが、偶然の産物として生まれるはずがない。ある日あるとき、偶然ぶつかった素粒子と素粒子が結合して、偶然こういうものができたなどということは、絶対に信じられない。地球はそれほど美しい。何らの目的なしに、何らの意志なしに、偶然のみによってこれほど美しいものが形成されるということはあり得ない。そんなことは論理的にありえないということが、宇宙から地球を見たときに確信となる。」(ジーン・サーナン ジェミニ9号・アポロ10号・17号)
どうです? 衛星軌道を離れて、超長距離の宇宙空間から地球を見てみたいと思うでしょ?
で、結局、Google Earthにボクがどうしてそんなに引きつけられるのかというと、この本によってかき立てられた「地球を神の視点で見てみたい!」という欲求を、バーチャルで不完全な形にせよ、体験させてくれるからなんでしょうねぇ。
ちなみに、スペースシャトルの乗組員、野口聡一さんは、この本を読んで宇宙飛行士になろうと決意したとのこと。
今年は秋雨前線の影響で曇り空が多いとのことですが、もし仲秋の名月が拝めたならば、ぜひこの本を読んで、その上でGoogle Earthで遊んでみてください。きっと日頃の悩みが、ちっぽけなものに感じられると思います。
でも、くれぐれも面白すぎて夜更かしをして、翌日寝坊をしないようにしてくださいね(笑)
それでは。
- [2006/09/17 22:33]
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無駄話の効用(本音は最後にポロッと出る)

●画像は銀座のバー「ルパン」で酒を飲んで放談している(と思われる)太宰治です。
写真家林忠彦の有名な写真で、別に太宰ファンでもなんでもないのですが、ボクはこの写真が大好きで、初めて「ルパン」に行ったとき、この写真が大きく引き延ばされて実際に太宰が座った席の前に飾ってあるのを見た時は、ちょっと感動しました(^^;)
で、なんでこの写真かというと、今日は無駄話の効用について書こうと思ったからなんですね。
前も記事に書きましたが、ボクは塾の受付のカウンターに座って塾生と話をするのが大好きなんですけど、たまに、この太宰の写真のようにカウンターで“一見”というか“一聴?”なんのことはない無駄話をしていく塾生がいるんですね。いや、酔っぱらって管まいてくわけではないのですが、とりとめのない話をダラダラダラダラ始める(^^;)
でもって、こっちも忙しいものだから、つい結論を急かしたくなったりするんだけど、でもここで急かしちゃいけないんですよね。
大体こういうときは、彼、彼女は別の大事なことを話したがっていることが多いんです。それも最後の最後に。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。あ、そうだ。実は今日…(本題)」
「あ、もうこんな時間。帰んないと。でもねぇ先生…(本題)」
2番目のなんか、なにが「でもねぇ」なのか分かりませんけど(^^:)、でもねぇ(笑)、ホントこんな感じで本題がはじまるんですよ。
それも今までずっと本題を話したくても我慢して、それで最後に意を決して話した、という感じではなくて、なんだか自分でも意識しないうちに最後にポロッと本音が出てくる感じ。
きっと自分の内側がなにかもやもやしていて、それが自分でもなんだか分からなくて、とにかく何か話したくて、ボクをつかまえて話し出すんでしょうね。で、ひとしきり無駄話(と思われるもの)をしているうちに、だんだん自分の内側が整理されて、最後に本題がポロッと出てくる。なんだか雑念を無駄話とともに洗い流して最後に砂金のように本当に言いたいことがキラリと出てくる感じなんですね。
「言いたいことを整理して、要点をまとめて、簡潔に話せ!」っていうのは、よく話し方教室や、ビジネス会話の研修でも言われることだけど、そもそも自分の言いたいこと自体を明らかにするときは、最初は無駄話とともに、自分の思いをダラダラしゃべるのが良いのかもしれません。
そのダラダラ話に付き合ってくれる友達がいるのはとても幸せなことだし、もしダラダラ話を聞いてくれる人がいなければ、喜んで話を聞いてあげたいな、と思う秋の夜長でした。
それでは。
- [2006/09/15 23:35]
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大文字のストーリー・小文字のストーリー(9.11同時多発テロから5年)

●画像は昨日行われた9.11同時多発テロの追悼式典の後、崩壊したWTCのツインタワーに模して発射された鎮魂のビームです。
5年前のあの日、テレビに映し出された光景を見たときの、腹の底にズンと響くような不気味な感覚は、今でもはっきりと覚えています。
なんというか、月並みな表現ですが「世界の終わり」を見たような、なんとも禍々(まがまが)しい感じ……。
結局、その日は明け方近くまでテレビの前に釘付けになりました。
それから8ヶ月後。
2002年の5月に、ボクは「グランドゼロ」を訪れました。
そのころはもう、瓦礫の山は片づけられ、整地のための工事が進められていました。(見づらいと思うのでクリックして拡大してみて下さい)
数多くの観光客が訪れ、仮設展望台から摩天楼のなかにポッカリ空いた「穴」をのぞき込んでいます。
近くのトリニティー教会では、教会の周りの柵に、犠牲となった人の写真や衣類がかけられ、その脇には今はもう会えない大切な人へのメッセージが添えられていました。
特に印象的だったのは、仮設展望台へと通じる通路の両脇の壁が、メッセージボードとなっていて(というか、ただの壁だったのがみんながいろいろ書き込むもんだからメッセージボードになってしまって)、そこに本当にさまざまな思いが書かれていたことです。
それはたとえば亡くなった友人がどんなに素晴らしい人だったかをびっしりと書いたものだったり、犠牲となった同僚のリストを星条旗で縁取ったものだったりしたのですが、やはり圧倒的に多かったのは、平和を望む祈りの言葉、“Bring us peace”や“LOVE & PEACE”などでした。(これらのメッセージを写真に撮りたい気持ちはあったのだけれど、なぜかできませんでした。画像がないのはそのせいです)
しかし、それと同時に、そのボードには “Payback Now!(今こそ仕返しを!)”“Usama suck!(くたばれ!ビンラディン)”の文字もあり、たしかに近しい人を失ったその気持ちは想像を絶するものがあるのだけれど、それと同時にまたここに憎しみの連鎖が生まれてしまった、と複雑な思いになったものです。
昨日、ブッシュ大統領はテレビ演説を行い、アメリカ国民の結束を求めたそうです。
米大統領、テレビ演説で結束訴え…同時テロ5年
【ワシントン=貞広貴志】ブッシュ米大統領は11日午後9時(日本時間12日午前10時)、米同時テロから5年を迎えたのを機に国民向けにテレビ演説し、「我々は考えの違いを捨て、歴史の試練に立ち向かうため協力しなければならない」と結束を訴えた。
大統領は演説で、テロとの戦いを、「この戦いは『文明の衝突』と呼ばれてきたが、真実は『文明のための戦い』だ」と述べ、世界の自由を守る闘争と位置づけた。さらに、大統領が「対テロ戦争の中心戦場」と呼ぶイラクについて、「我々が撤退すれば、敵は放っておいてくれると考えるのは最悪の誤り。敵は追いかけてくる」と、米軍の駐留継続に支持を求めた。
大統領は、「この戦争は米国が望んだものではないし、すべての国民が戦争など終わって欲しいと思っている。それは私も同じだ」としながらも、「今、敵を打ち破らないと、核武装したテロ国家と過激な独裁者に牛耳られた中東を子供たちに残すことになる」などと、米軍撤退の悪影響を強調した。
(読売新聞) - 9月12日12時32分更新
このニュースを見たとき、ボクは5年前にテレビ映像を見たときの、あの不快感をふたたび思い出しました。
なぜ、ボクは大統領の演説に不快感を持ったのか。
常日頃ボクは、勝手に、「神」「国家」「正義」「真実」など目に見えず、手で触れえない抽象的ものの価値を語るストーリーを“大文字のストーリー”、「夫婦愛」「親子の絆」「隣人愛」や「友情」といった一人一人が具体的に実感できるものの価値を語るストーリーを“小文字のストーリー”と呼んでいます。
当然のことながら、大統領の演説は典型的な“大文字のストーリー”なわけで、今回、大統領が語った「文明のための戦い」や「世界の自由を守る闘争」という言葉からは、トリニティー教会の脇のメッセージや、仮設展望台への通路の祈りの言葉から紡ぎ出される“小文字のストーリー”が、すっぽり抜け落ちてしまっている。
それどころか、彼は「今、敵を打ち破らないと、核武装したテロ国家と過激な独裁者に牛耳られた中東を子供たちに残すことになる」と、“子供”を引き合いに出すことで、“小文字のストーリー”を“大文字のストーリー”に組み込もうとしています。
なんだか“くたばれ! ビンラディン”という“小文字のストーリー”の中で紡ぎ出された言葉の背後にある憎しみをかき集めて、自分の“大文字のストーリー”を遂行するためのエネルギーとして利用しようとしているのではないか……
ボクの不快感の原因は、そんなところにあるような気がします。
たしかに数多くの人間を束ね、複雑な社会を維持していくためには、どうしたって“大文字のストーリー”は必要です。
でも、“大文字のストーリー”だけでは、人間は幸せになれない。
どっちが大事って、ボクはやはり“小文字のストーリー”の充実が人の幸せってもんだと思うのです。
“大文字のストーリー”は割り切ってるから明快だし、威勢がいい。自分の人生に意味を与えてくれそうな気がするし、ロマンがある。
だからつい、惹かれてしまうのは分かるんです。でも、そのストーリーは行きすぎると、いつも「我々」と「彼ら」双方が持つ、無数の“小文字のストーリー”を残酷な結末に導いてしまう。
だからこそ“大文字のストーリー”を語る時は、“小文字のストーリー”を忘れない想像力を持つこと。そして“小文字のストーリー”に執着して衝動的に行動しそうになった時は、その行動が“大文字のストーリー”に利用されていないかどうか冷静にふり返ることが大事なのでしょう。
難しいかも知れないけれど、やはりこれは肝に命じておく必要があるんじゃないかと、今日はしんみり、思うのでした。
-------------------------
さて、ちょっと重い話になっちゃったので、おまけの画像を一つ。

えーと、これは牛丼の「吉野屋」ニューヨーク店の“Beef Bowl set”です。
2002年の時点でまだ開店したばかりで、それでもけっこうにぎわっていました。
お客さんは在ニューヨークの邦人と日本人観光客が約半分。その他半分が現地の人たちという割合。
味は、いたって普通。日本とほとんど変わりありません。(もと深夜の店長代行が言うんだから間違いない^^;)
面白いのは画面に映っている“生玉子”
じつはニューヨーク店が開店する前に、この生玉子をメニューとして出すのに大変苦労したのだとか。
アメリカの鶏卵には寄生虫がいるらしく、原則的には玉子はすべて加熱して食べます。それが彼らの常識なんですね。(実際ボクもアメリカで日本語を教えてた時に、すき焼きの説明をして、生卵をつけて食べると言ったら「信じられなーい!」という顔をされた^^;)
だから吉野屋が開店する時には、それ専門の鶏舎を設計して、生産された玉子も特別に検査を受けた上でお店で提供するという条件で、やっと許可されたんだそうです。
で、それで思い出したのが、たしか映画「ロッキー」だったと思うんですけど、スタローンが生卵を何個もジョッキか何かに入れて飲み干すシーン。
われわれ日本人にとってはスタミナをつけるための当たり前の(といわれている)方法ですが、アメリカ人が見たら、まさに“蛮勇”ともいえる行為で、この1シーンが与えるインパクトは、われわれと彼らでは大きく異なるんでしょうね。
まあ、文化的な背景が違うと同じ行為が与える意味内容が大きく異なってくるという一例、と言うことで。
それではまた。
- [2006/09/12 23:51]
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お休みのおかわり!
また、一週間お休みします。おかわりです。
ブレスと論文のサイトを一生懸命いじってます。
気が向いたら進捗状況をアップしますが、基本的にはまた来週〜
バハハーイ!(byケロヨン 古!)
- [2006/09/05 10:14]
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パプリカ(筒井康隆)
![]() | パプリカ 筒井 康隆 (2002/10) 新潮社 この商品の詳細を見る |
●一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です(ウソです)
わかるかな〜、わかんねぇだろうなあ〜 (年がバレます^^;)
さて、ここんとこ奇妙なシンクロニシティが続いています。
塾のコラムに10年前になくなった祖母のことを書いたら、その二日後に祖母の妹さん(なんて言うんだろこの親戚関係?)がなくなったり、夏講で疲れて「鰻が食べたい〜」と叫んでいたら、その日の午後に鰻の差し入れがあったり……。(いやあ、この時はホント、ユングさんに感謝しました(笑))
でもって、筒井康隆なんですけど、先日の記事に「乗越駅の刑罰」を引用したのを皮切りに、なんだかいろいろ情報が飛び込んでくるようになったんですね。
まず、小松左京の「日本沈没」をパロディ(?)にした「日本以外全部沈没」が映画化されるという情報が入ってきて、さらに「時をかける少女」のアニメ版がなかなか良い、という話が聞こえてきました。昨日はなにげにこの記事のタイトルになった「パプリカ」をパラパラ読みかえしていたら、今朝はこんな記事を発見。
【第63回ヴェネチア国際映画祭】筒井康隆原作のアニメ『パプリカ』が5分間のスタンディングオベーション!
ヴェネチアの今敏監督
2日、コンペティション部門作品である今敏監督のアニメーション『パプリカ』(2007年正月公開)の公式上映がメーンシアターの「サラ・グランデ」で行われ、上映後には約5分間のスタンディングオベーションとなる喝采を受けた。
同作品は、筒井康隆氏の同名小説が原作で、他人の夢に入り込んで精神治療を行う画期的な装置「DCミニ」が、何者かによって盗まれたことから始まるSFファンタジー。数年前に筒井氏とアニメ雑誌で対談した際、「ぜひ、アニメ化して欲しい」と依頼を受けて製作したという。「今となっては普通かもしれないが、93年の出版当時、夢と現実が曖昧になってくるという設定の話は画期的だった。
自分がアニメ監督となり、そういう作品を扱うようになったのは『パプリカ』の影響が大きかった。なので今回、原点に戻ったという感じです」(今監督)(後略)
いやあ、ちょっとビックリしました。昨日の今日だったので。
「パプリカ」は93年の作品で、amazonの説明を借りるとこんな話です。
精神医学研究所に勤める千葉敦子のもうひとつの顔は「夢探偵」パプリカ。患者の夢を共時体験し、その無意識へ感情移入することで治療をおこなうというものだ。巨漢の天才・時田浩作と共同で画期的サイコセラピー機器「DCミニ」を開発するが、ノーベル賞候補と目されたことで研究所内には深刻な確執が生じた。嫉妬に狂う乾副理事長の陰謀はとどまるところをしらず、やがてDCミニをめぐって壮絶な戦いが始まる!現実と夢が交錯する重層的空間を構築して、人間心理の深奥に迫る禁断の長篇小説。
でも、このころの筒井氏は本当にすごかった。
「残像に口紅を」(’89)や、「文学部唯野教授」(’90)「朝のガスパール」(’92)など、メタフィクション(フィクションに関するフィクション)の傑作を次々と生みだし、その到着地点として生みだされたのが、この「パプリカ」(’93)というわけ。
ちょうどこの本が出版されたときは、ボクはアメリカで日本語を教えていて、日本の友人からわざわざ送ってもらって、一気読みした記憶があります。
日本語の本に飢えていたせいもあって、一語一語が脳髄に染み渡り、読んだ人は分かると思うけど、この本の持つ夢と現実が入り交じった独特のトリップ感に恍惚として読みふけったものです。
現実と夢、虚構と現実、毎日の慣れない英語でのコミュニケーションで心がヒリヒリして、ともすると周りの風景まで非現実的に見えてくる状況で、この本は忘れられないものになりました。
さて、アニメ版の「パプリカ」ですが、さっそく公式ページに行って予告編を見てきました。ちょっと千葉敦子がクールすぎるのと、時田浩作にかわいげがない(笑)のが残念ですけど、十分期待できそうです。
お正月に公開だそうですから、ぜひ、見に行こうと思います。
ただ、筒井原作の映画って、なんだかいまいちってのが多いからなあ(^^;)。
あまり期待しすぎるとガッカリするかもしれないから、あくまでもニュートラルに、ニュートラルに。平常心を保って見に行きましょうかね。
- [2006/09/05 00:03]
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