ただいまリニューアル準備中 

準備中

●えーとですね。考えるところあって、ブログの更新を停止中です。

とぎれとぎれに2年ちょっと更新してきましたけど、自分にとってのブログの意味を考え直しまして、もうしばらくしたら新しい形で再出発しようと思います。

その時までいましばらくお待ち下さい〜

怒濤の2月 

人生いろいろ/鳳仙花人生いろいろ/鳳仙花
(2003/11/19)
島倉千代子

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●いや〜、2月は本当に大変だった!

いきなり高校生の添削を360本、それが終わったら相方のインフルエンザ、塾の方の来年度の準備、論文の4月からの方針決め、etc……

ようやっと、ブログの画面を見られるようになりました。

今週末には、自分が所属する日本コーチ協会群馬支部(略称ぐんちゃぷ)の、年に1度のお祭り、「ぐんまコーチングフェア2008」で、共育(教育)分科会の司会をやって、やっと怒濤の2月が終わるって感じですね。

でも、来月もきっといろいろあるんだろうなあ…

てなことで、今日は何もまとまった結論はナシ。

かわりに一句。

人生は、
    いろいろあって、
         あたりまえ(^^;)
                   風来坊
  

先生の先生になる 

spect.jpg


●今年の塾の運営方針として、ボクは原則的には自分自身では授業を行わず、スタッフの指導を行うことで、間接的に生徒を指導しようと思っています。

つまり、「先生の先生」として活動しようと思っているワケ。

なんでそんな風に思ったのかというと、自分の人生の残り時間を考えると、そろそろ次のステージに移ってもいいかな、と思ったことと、生徒の指導方法に関して実験してみたいことがあったからなんです。

その実験の内容はまだ具体的には言えないのだけれど、簡単に言うと、「教える」という行為は一体何なのか? ということと、先生の生徒に対する働きかけはどのように機能しているのか? という疑問を検証するものとなる予定です。

すでに学生時代からカウントすると、生徒を教えるという仕事をしてきて、もう20年以上が経っているわけで、その間に「教える」ということに関してさまざまな知識と経験が自分の中に蓄積されてきているのを感じています。

で、そろそろそれらをまとめて頭の外に出しておきたいな、という欲求が高まってきているんです。なんだかここらで中間報告をしてみたいという。

今のところの直感としては、きっと、いわゆる「知識の伝達」という機能は、おそらく「教える」という行為の全体像の中では、かなり重要度は低いんじゃないかな、と思っています。

知識が豊富な先生が、その知識を言葉でたくさん生徒に語ってあげれば、知識が生徒の頭の中にコピーされて、生徒の頭が良くなったり、成績が上がったりするという、一般的に信じられている「教える」モデルというのは幻想ではないか? 生徒の頭の中が変わるのにはもっと別な要因が重要な役割を果たしているのではないか?

今はそんな風に思ってるんですね。

だって、みんな覚えがあると思うけど、先生のお話を聞いている時ってけっこう自分の頭の中は「たるんで」いるでしょう? 先生はありがたい知識を伝授しているつもりかもしれないけれど、先生が力説すればするほどこちらは眠くなったりする(笑)

それよりも、自分の興味関心に従って、自分で本を読んだり、いろいろなことを経験している時の方がずっと、脳みそが活発に動いている気がする。眠くなったりしない。

上の画像はSPECTという最新の機器で脳の血流量をリアルタイムで記録したもの。

赤い部分は血流量が大きくて、逆に青い部分は少ない。

つまりは、ボクは先生がどう生徒に働きかけたら、生徒の頭の中の血流量が増えて、SPECT画像が真っ赤っかになるかを知りたい訳です。

まあ、今はまだ直感で話をしている段階なので、何ともいえないのだけれど、これからしばらくはこんな問題意識を持って、毎日の仕事をしていこうと思っています。

では。

言葉を紡ぐ 

keitodama.jpg


●この冬期講習中に久しぶりに小学生の作文を指導しました。

今回の授業のテーマは「とにかくいっぱい書こう!」

結果的に80分の授業4回で、小学生5・6年生が原稿用紙12〜3枚くらい書きました。

いっぱい書かせるためのコツは、へんに「正しい書き方」を教えないこと。

「漢字の間違いとか原稿用紙の使い方なんか気にしなくてもいいから、体から出てきた言葉はみんな書いちゃえ!」と指導します。

ただ、それと同時に言葉を紡ぎ出す時の「きっかけ」となる指示も忘れないこと。

それはたとえば「ことがらを時間の流れに沿ってなるべく具体的に書いて」であったり、「五感が感じ取ったことに注意して読んだ人がその場にいるような感じになる文にして」であったりします。

この「きっかけ」さえ適切に与えてあげれば、あとは毛糸玉をスルスルとほぐすように言葉があふれ出てくる。

言葉さえたくさん出てくれば、あとはそれを文化的な枠組みとしての「文章の型」に入れてあげれば、簡単にいわゆる「きちんとした作文」になります。

今の作文教育は毛糸玉のほぐし方も教えずに「思った通りに書きなさい」と放り出して生徒を途方に暮れさせ、やっとでてきたわずかな言葉を「正しい書き方」で矯正して、生徒の言葉を紡ごうとする意欲を後退させている。指導の勘所を間違っているのではないか。

今回の指導を通じてそんなふうに思いました。

物語る力 

まんが日本昔ばなし〈第1巻〉まんが日本昔ばなし〈第1巻〉
(2005/10/17)
川内 彩友美

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●いやあ、キンタロス格好良かったなぁ(電王ネタ^^;)

さて、本日(昨日?)冬期講習も無事(?)終了。

そろそろ入試もクライマックスだぜ!(って電王から離れられない^^;)

で、最近増えてきてるのが推薦入試の志望理由書の相談。

でもね。じつは簡単なんですよ志望理由書の添削。

コーチングでその子の漠然とした未来のイメージと在学中に一番印象に残っていることを聞き出したら、あとはその二つを結びつけるいかにも学校の先生が好みそうな「お話」を、生徒と相談しながら“でっち上げれば”一丁上がり。

高校入試用なら5分もあれば完成です。

そんなナメた志望理由書で大丈夫なの? と思われるかもしれませんが、これがなんとも不思議なんです。

最初は“でっちあげ”だったこの「お話」が、いつの間にか“本物”になってしまうことがいかに多いことか。生徒自身、最初は“でっちあげた”つもりでいたこのお話しをいつのまにか信じて、このお話しの通りにその後の進路を決めることが非常に多いのです。

人は物語ることでそれを現実に変える力をもっているとしか思えません。

前に「強引に幸せになる力」について書いたけれど、その人の人生のカラーを決めるのは、じつはこの「物語る力」なのかもしれない。

目の前の現実はそれを解釈し物語ることではじめて意味を持つ。

それをどう解釈し、どう物語にするかで人生はがらりと変わる。

今日も5分で志望理由書を完成しながらそんなことを思いました。

(なんか河合隼夫風になってしまった^^;)